街角にて

どこかの街の、誰かの物語。

あたたかな日々を転げ落ちる

祖父が危篤だと早朝に報せが来たのは、夏の終わりが近づいた頃だった。詳しい状況がわかったらまた連絡すると言われて仕事に行く支度を整える。平静を装ってはいたものの混乱していたのだろう。連絡をもらってすぐに向かっていれば間に合ったかもしれないのに、いつもの通勤時間に家を出ようとしたところで訃報が届いた。葬儀の記憶は曖昧だけれど、父と交代で線香の番をしたこと、夏の初めに母方の祖父が亡くなってから不幸が立て続けにあって慣れてしまっていたのか大好きな祖父のために涙が流れなくて悲しかったことは覚えている。
前々からその時のことを書き残しておこうと思いつつ先延ばしにしていたけれど、先日有給が取れたので祖父と叔父の墓参りに行ったのがたまたま祖父の誕生日だったのでこの機会に。

 

きみの体温がとても柔らかかった

最後の泣き顔を目に焼き付けようと思っのに、視界がぼやけてしまってどうにも難しかった。あの映画のラストみたいに、写真に撮ってしまえば良かったのだろうか。
感情の瞬発力が低いのでその場で伝えるべきことをうまく伝えるのが難しい、いつかの後悔が巡る。せめてこれまでの感謝くらいは言葉にできれば良かったのに。
おそらくひとりでも生きていけるけれど、またひとりになってしまったことに馴れるまでには少し時間がかかりそうだ。まぁそんなこともある、きっとよくある話だ。

 

言葉より未来を

歳の離れたはとこがこの春から高校生になるのでお祝いを贈った、たいした金額ではないけれど。真面目なあの子がなんの役にも立たなそうなものを買ってくれたら嬉しい。で、無駄遣いと思ったそれがいつかなにかに繋がったらもっと嬉しい。
先日、とある高校の演劇部を追ったドキュメンタリー映画と、題材となった高校生たちの実際の舞台を観た。蔓延した疫病により様々な制限がかかる困難な時代に負けず、青春を駆け抜ける若者たち。
僕はといえば。彼らくらいの頃に他人事だと思いながら見ていた社会的な問題を大人になるにつれ一通り身をもって経験し、どうしようもない大人になった。高校時代の恩師の「しょうがねえおっさんになっちまったなぁ」という口癖が、時折頭をよぎる。
僕はそのどうしようもなさにも随分と慣れてきてしまっているけれど、彼らにはもっと希望に満ちた未来が待っているといい。どうしようもない人生も悪くないかもしれないけどね。

 

2022年の終わりに考えること

ここ何年か現状維持さえできればいいと思って過ごしている。それでもあちこちに転機は落ちているようで、ふとした拍子に踏んづけては悩んだりどうでも良くなったりしている。
秋に引っ越しをした。特に前に進みたいと思ったわけでもなかったけれど、留まる理由がなくなってしまったから。今のところいい選択だったように感じている。他にも色々な細々した出来事があったはずだけど、引っ越しとそれに至る経緯が自分の中で大きすぎてなかなか思い浮かばない。
激動というほどではないけれど少し疲れたので、来年は写真を撮ったりギターを弾いたりしながら静かに暮らしたい。

 

夜になってから花は咲く

残業終わりの帰り道で空を見上げたり、カメラを空に向ける人々に遭遇した。宇宙人でも攻めてきたのかしら、と思ってそちらに顔を向けると、赤黒く染まった月が浮かんでいる。そういえばテレビのニュースで言っていたっけな。その時は確かに自分も見たかったはずなのに忙しさにかまけて忘れてしまっていた、彼らがいなければそのまま空を見上げることはなかっただろう。いつの間にかつまらない大人になってしまったな。周囲に倣って携帯のカメラを構える、設定がよくわからずにストロボが光ってしまい、その一瞬だけ月蝕よりも注目を浴びることとなった。