街角にて

どこかの街の、誰かの物語。

壊れた指輪も小さな思い出

引っ越しを間近に控え、面倒な手続きと格闘し、ひたすら部屋を片付ける。7年間暮らしている間に溜め込んだ思い出はゴミ袋10個分近くになった。にも拘わらず散らかった部屋。そもそも僕は好きなものに囲まれ埋もれて過ごしたい、断捨離なんてくそくらえな主義なのだ。こんな機会でもなければがっつりモノを処分することなんてきっとない。捨てた中にはいつか手放したことを後悔するものも混ざっているかもしれないけど、その代わりにもっと素敵なものが手に入るといい。

 

夏の終わりと夕暮れ空

生来のものぐさな性格のせいで引っ越しを先延ばしにしていたものの、看過しがたい事案が立て続けに起こったことによりついに重い腰を上げた。ときめきのない引越しだとは思いつつ賃貸情報サイトで見つけたおしゃれな物件に一目惚れし、すぐさま内見の申し込みをする。動き出しさえすればその後の行動はわりと速い方なのだ。
お目当ての物件はいわゆるデザイナーズマンションというやつだったらしく実際に見てもなかなかおしゃれで、でもそれだけだった。他にも数件回ってちょうど高層階の物件に差し掛かったタイミングで窓の外にとても綺麗な夕暮れの景色が広がっていて、感動するってこういうことだったな、と思い出した気がした。それ以外に特別なものは何もない部屋だったけれど、きっとそれだけで十分だったんだろう。即決した、当然。
住み始めてまた同じ感動が得られるかはわからないけれど、その期待で煩わしい手続きは乗り切れそうだとは思っている。

 

なのに、ばかみたいに空は青い

夏が終わりに近づいて、例年通り思い入れのあるようなないような曲を聴きながらセンチな気分に浸る。特別夏らしいことはしていないけどひたすら暑かった、でも少し短かったかもしれない。
勤務先では尤もらしい理由をつけて希望退職が勧奨され、お世話になった人たちが大勢去っていった。今回は対象から外れていたもののいつ自分に順番がまわってくるかもしれず、いっそのこと早く自由になりたい気持ちもある。自分の意志で得たわけではないものを、果たして本当に自由と呼べるものかわからないけれど。退職の挨拶をしてくれた人たちを少し羨ましく思いながら喫煙所で見送る。よく晴れた日だった。

 

クリームの夢を見た朝に

幹線道路に架かる歩道橋の前で立ち尽くしていた。初めて見るような、懐かしいような景色が目も前に広がっている。約束の時間はとうに過ぎてしまっていて、どう言い訳をしようか考える。
職場から電話がきた、荷物が届いたけれど誰もいないから受け取って欲しい、と。いつもの配達のお兄さんが持ってきたのは小型のヘリコプターで、僕はため息をつきながらロープを巻きつけて搬入用のスロープを引きずってビルの屋上を目指す。何度も壁にぶつけてヘリは傷だらけで、プロペラも最後の一本になったあたりでようやく屋上にたどり着く。雨が降っていた。
屋上の片隅でレインコートを羽織ってクレーンゲームに興じる見知った顔。彼に会うのは何年振りだろう。卒業式の直前に故郷で大きな地震があって、彼は地元に残ることを選んだ。そんな彼にこんなところで会うとは思いもしなかった。
次第に雨は激しくなり、彼は自転車に乗って帰っていった。傘のない僕は、雨を避けるためにひとり地下街へ潜る。

 

だからさよならは言わない

二回り歳上の友人は声が大きくて酒好きで煙草好きで女好きで、破天荒な人だった。
当時平凡な大学生だった僕にとって彼と遊び回る日々はとても刺激的で、講義なんかより多くのことを学べたと思う。
僕が大学を辞めた後も相変わらず一緒に飲み歩いたり、引っ越しを手伝ってもらったり仕事先まで紹介してもらったり世話になっていた。それでも時の流れとともによく集まっていたメンバーも結婚したり仕事が忙しくなったり遠くへ引っ越したりと頻度は減って、世界的に疫病が流行ったあたりでほぼ途絶える。
飲み仲間を介して久しぶりに連絡が来たのは昨夏のこと。体を壊して入院してるけど秋には手術が終わって退院するからその頃久しぶりにみんなで集まろう、と。結局疫病の第何波だかがきて実現しないまま、彼の訃報が届いた。今朝のこと。ご家族の意向で葬儀は行わないらしく、なんの実感もわかないままただただ悲しい。
だけどしんみりするのは底抜けに明るかった彼には似合わないし、いつかあの世の飲み屋で会えそうな気がするよ。だからさよならは言わない。