街角にて

どこかの街の、誰かの物語。

ハチジロウのこと

不眠が祟って仕事中に居眠りをしてしまった。そして僕は八次郎という猫の夢を見る。その話を気に入った彼女はそれからハチジロウと名乗るようになった。もちろん彼女にもちゃんと名前があるのだけど、その名前で呼んでももう答えてもくれない。

ハチジロウはおとなしい女の子で普段はあまり自分から話さない。たまに興奮して話し続けると慣れていないせいか疲れて口が回らなくなり、サ行が言えなくなるのがかわいらしい。
ハチジロウはファッションにあまり興味持っていなかったけれど、派手な服は好みではないらしい。いつもお気に入りのレザーブーツを履いていた。だいぶ履き込んでいるものの、しっかり手入れされていた。
ハチジロウは酒を飲まない。素面のまま、たまに夜道で歌っていた。透き通った綺麗な歌声、上機嫌な時はその歌に合わせてブーツを鳴らして踊る。歌と踊りのミスマッチがなんだか微笑ましくて、その隣で酔った僕も踊った。

ある時ハチジロウは世界を見に行ってくる、と言った。旅立つ彼女の荷物はさほど大きくなかった。必要なもの以外みんな処分してしまったらしい。なので僕の手元に彼女の思い出の品は残らなかった。
今夜の夢に出てくるのは猫だろうか、それとも彼女だろうか。別にどちらでも構わないけれど。横になった僕はあの夜の歌を口ずさんでみた。