街角にて

どこかの街の、誰かの物語。

2019年の終わりに考えること

今から10年前、2009年。忌野清志郎アベフトシ志村正彦、僕の好きなミュージシャンたちがこの世を去った。いつの間にかそんなことを忘れて日々を過ごしているけど、通勤中のイヤホンからは毎日当然のように彼らの音楽が今も流れている。本人が死んでも作品は生き続けている。
同じ年に学友が亡くなった、理由は聞けなかった。彼とは同じサークルに所属していて最寄駅が近かったからたまに電車で一緒になるくらいだった。特別仲が良かったわけじゃあない。それでも当時流行っていたSNSには今でも彼の日記がそのまま残されていて、今でもたまにそれを読み返してみたりする。
自分がいなくなった後も自分が生み出した何かが残り続ける、それは芸術家を志していた僕にとって憧れだったんだと思う。結局当時の夢に僕は辿り着けず、インターネット上に残そうとしていたものも使っていたサイトの閉鎖とともに消えてしまった。それでも完全には諦めきれず、またこうして懲りずに何かを残そうとしている。
憧れにしがみつきながら、10年前にいなくなった彼らのことを時折思い出している。僕にとってそれは誰かの前向きな言葉なんかよりよほど重要なことだ。

僕がそんなことを考えるようになった頃に生まれた息子も今年で10歳になった。一緒には暮らせていないけど。作品が残せなかったとしても、彼の存在は僕の生きた証になるのかもしれない。彼にはあまりややこしいことは考えずに幸せに生きて欲しいと思う。
2020年、どうか大切な人たちが生きやすい世の中になっていきますように。